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ブログ 2013/12/29
父の死 - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -[社長の独り言]
投稿日時:2013/12/29(日) 04:59
本年最後のブログ更新となりそうです。
弊社の年内営業は12月30日までですので、私も12月30日までは名古屋で業務を行う予定でした。
ところが12月27日の午後、私の母親から連絡が来ました。
父親の入院先の病院から、「今晩か明日くらいまでしか持ちそうにない」との連絡があったとのこと。
連絡をもらったのが15時半頃だったかな?
急遽名古屋での仕事を切り上げて、京都にある父の入院先の病院へと向かいました。
そんな事情がありまして、本来ならできる限り多くのお客様のもとへ年末のご挨拶にお伺いしようと思っていたのですが、お伺いできませんでした。
申し訳ありません!
さて、自分の父親の話題などは相当プライベートな話ですし、多くの方にとっては本当にどうでも良い話なのです。
しかし誠に勝手ながら当ブログは私の日記帳を兼ねておりまして、記録という意味で、私の父親のことを恐縮ながら書かせていただきます。
年末ご挨拶という意味でのブログはここまでとさせていただき、以降は私の個人的日記です。
もし、ご興味があればお読みくださいな。
これまでも週に一回程度は父親の見舞いに行っていましたので、容態の変化は概ね把握していたつもりです。
大変厳しい状況であることは理解していたつもりなのですが、不治の病に侵されていたわけではなく、「たかが」肺炎での入院でしたので、「回復するかもしれない」という淡い希望を持っていたんですね~。
7月に肺炎で入院して8月に一旦退院していたのですが、2週間ほどで再び肺炎で再入院しました。
高齢者に多い「誤飲」が原因の肺炎だそうです。
要するに、空気を入れる肺と、食物を入れる胃への切り替えが上手くできず、飲食物が肺へ流れ込むことが原因で、肺炎が起こるそうです。
再入院したのが9月5日ですので、年末時点ではおよそ3ヶ月と3週間が経過していたことになります。
私はたしか、5日前の12月22日日曜日にも見舞いに行っていたと記憶しています。
決して具合は良くなかったのですが、良くなったり悪くなったりの、一進一退の中での悪い状態である・・・そんな認識でした。
状態が良くないことは理解しつつも、この時点でさえ回復への希望を持っている状態ですね。
ところが、12月27日に呼び出されて病院へ行った時点では、すでに血管に点滴を入れることができない状態になっていることを知りました。
血管が駄目になった(?)か何か、そんな理由のようです。
口から水分や食物を入れると、肺のほうにも流れ込んでしまう状態であるために点滴で命をつないでいるのに、点滴ができなくなるというのは大問題です。
胃に直接栄養を流し込むために取り付けたチューブが残っていましたので、かろうじて水分だけは流し込めたようですが、それも時間の問題。
栄養が摂れない状態になれば、そりゃ相当近いうちに死にますがな。
しかも、前日から2回ほど呼吸が止まったとのこと。
体を揺すりながら名前を呼びかけることで呼吸は戻ったそうですが、すでに病院では「もう駄目」と判断しているらしく、大部屋から個室へと移されていました。
この時点で、ようやく私自身も「ああ、本当にもう駄目なんだ」と、父親の命が風前の灯であることを理解しました。
この日は、数日前に北海道から帰省して来ていた、私の子供を連れての見舞いでしたので、わずか10分ほど見舞っただけです。
今思えば、これまで概ね週一回程度見舞いに行っていたのですが、すべて短時間で見舞いを切り上げて帰っていましたね。
決して忙しいからなどという理由でなく、痩せ衰えて、苦しそうな状態の父親を見ると悲しみがこみ上げてくるので、現実から目をそらすために早く帰ってしまったんでしょう・・・。
現実から逃げていたという点では、反省すべきことだと思います。はい。
夜もあまり眠れませんでした。
平素は、布団に入って数分以内には寝てしまうという、驚きの寝付きの良さを発揮する私なのですが、やはり色々と考えてしまうんですね~。
今この瞬間にも病院から連絡があるかもしれない、酸素マスクをして苦しそうだったから、明日は苦痛を和らげる処置をお願いしようかとか、色々考えていると眠れません。
真夜中まで眠れず、やっと眠れたと思ったら、3時ごろには目が覚めてしまう始末。
本当に、ロクに眠れませんでした。
で、翌12月28日は朝の8時半頃に母親から電話がありました。
病院から、「容態が悪いので来て下さい」と連絡があったとのこと。
本当に無意識だったのですが、早朝からヒゲを剃って髪の毛を整え、外出用の服をキッチリ着込んで私は待機していました。
電話をもらってはじめて、靴を履けばすぐに外出できる準備を整えていた事実に気づき、電話を受けて3分後には自宅を出発していました。
平素、髭を剃るのも外出用の服を着るのも出掛ける寸前に行うのが私の生活習慣なんですが?
なんでかな?
前夜に見た父親の様子から、無意識に「もう近い」と認識していたんでしょうかね?
「故人が枕元に立った」などというような不思議な出来事が語られることがあります。
私の身の回りに起こった出来事で、少し平時と違う出来事と言えば、こんなところでしょうか?
さて、病院へ着いて父親の様子を見ると、昨夜とあまり様子に変化は無さそうに見えました。
ただ、血圧や血中酸素の濃度といった数値が極めて悪い(らしい)。
詳しいことはよく分かりませんが、血圧が上が60ほどで、下が30チョイという水準ですから、平時の半分以下の数値です。
これが異常な数値であることぐらいは理解できました。
到着してから1時間ほどの間は、おとなしく父親の容態を見守っていたのですが、ふとしたことから私の悪い癖が出ました。
血圧や脈拍などの数値を記録することを思いついたのです。
自分の父親が死に行くときに、どのような容態(数値)の変化をするのか、記録しようと考えたのです。
ヒトが死に行くときの状態変化を数値で観察しようとする試みですね。
こんなところでマメさを発揮するあたり、本当に私は変態だなと思います・・・。
第1回目に記録したのが、午前9時40分。
その後、1時間おきに記録することにしました。
記録した項目は、心拍数、血圧、呼吸数、血中酸素濃度だったと思います。
9時40分、10時40分、11時40分、12時40分、13時40分と計5回計測したのですが、数値に大きな変化はありません。
「こりゃ、長期戦になるかな?」と考えました。
水分だけでも数日間、いや、一週間くらいは、命を持ち堪えるかも知れません。
これまでの入院生活でずいぶん体力は衰えているでしょうが、「数日くらいは持つのかな?」というのが、この時点での私の考えでした。
悪いなりに数値も安定しているのですから・・・。
そんなことを考えていたのですが、14時を過ぎたあたりで急激に容態が変化しました。
モニターの示すあらゆる数値が、ドンドンと弱まっていくんですね。
急に、何かが「スー」としぼんで行くというか、ローソクの火がゆっくりと消えて行くというような感じです。
看護婦さんも病室に来て声をかけますが、ただそれだけ。
何かを察したのか、すぐに詰所へ帰っていきました。
医師は来ませんでしたね。
病室にいたのは、母親と兄と私の3人。
父親にしてみれば、自分の築いた家族全員が集まっているということになります。
比較対象が少ないので何とも言えないのですが、幸せな最後なんじゃないでしょうか?
父親は80歳ですので、平均寿命以上は生きたことになります。
家族全員一堂に集まり、見守られる中で、私が確認したのは14時10分、完全に呼吸が停止しました。
医師による死亡確認時間は14時14分。
最後の場面で、兄や母は「良くがんばったね」などと声をかけるのですが、私は何も声が出ませんでした。
ただ、涙を流しながら手を握っているだけ。
格好の悪い話ですが、40過ぎたオッサンである私の心は、完全に童心に戻っていましたわ・・・。
少し冷静にこの3ヶ月ほどの間を振り返ってみると、いろいろなことが現実が見えてきます。
・胃へ栄養を流し込むチューブを取り付けることを提案された時点で、医師は口から飲食物を摂取する能力の回復は不可能と判断していた。
・3ヶ月以上のあいだ入院が続くと、特養(特別養護老人ホーム)は追い出されます。
一週間前に荷物の引き取りに行ったばかりですが、彼らの豊富な経験則から、「3ヶ月以上入院する特養入所の高齢者が再び帰ってくることはない」のが現実なのでしょう。
・ある時点から、病院は死期を調整する作業に入っていたなと感じます。
胃にチューブを取り付けた位までは、回復に向けての治療がなされていたように思いますが、チューブからの栄養補給と投薬は上手くいきませんでした。
体の機能が衰える(動かなくなる)パーキンソン病の投薬を長期間行っていなかったことが原因かと考えられるのですが、結果的に胃腸がまともに機能せず失敗に終わっています。
この頃が治療→死期調整への転換期だったように思います。
もちろん、家族に対してそんな説明はありませんけどね・・・。
・本当に差し迫ってくると、死期調整は相当露骨になります。
点滴が入らなくなったという話を書きましたが、「やろうと思えば」腕から点滴が入らなくとも、足の血管から点滴を入れるなど、さまざまな方法はあるはずです。
でも病院はそんなことを提案しないし、家族もやってくれと言わない。
この期に及んでは、「どこまでやるか?」の問題だけですね。
現代医療をもってすれば、「心臓を動かす」だけの延命なら、相当なことができると認識しています。
あとは、それぞれの価値観だけの問題でしょう。
少し嫌な言い方ですが、病院側も家族も、「これ以上は生かさない」と決断したんですね。
すでに酸素マスクを外すだけで生存できない状態まで追い込まれているわけですから、倫理的には問題ない・・・のかな。
嫌な思い出もできました。
タンが絡んで呼吸が困難になるので、これまでは頻繁に吸引をしてもらっていました。
最後の日は、一度も吸引に来ませんでした。
家族全員が見守る中で穏やかに息を引き取ったのですが、亡くなる一時間前くらいから、少しタンが絡んでいるような感じでしたので、自然に呼吸が止まったのか、タンが絡んで窒息死したのか、正直、どちらか分からない。
この記憶に関しては、自分の頭の中で消去処理をして、死を美化すると予想されるのですが、こうやって記録しておけば、再びイヤ~な気分になれます。
そういう記憶も大事かなと思います。
精神的な重荷を背負って生きて行くほうが、今後の自分のためになると・・・。
ま、そんなことを記録しておきます。
4ヶ月近い入院生活、それまで約20年間にわたるパーキンソン病との闘い、7~8年間はレビー小体型認知症との闘いがありました。
本人はもちろんですが、それを支える家族にとっても、本当に大変なこともありました。
でも、父親の生きざまは、私に何かを残してくれたなと感じています。
とり急ぎ、自分の子供たちに、「おじいちゃんの最後の様子」を詳しく聞かせました。
そして、私の最後のときはオマエたちに見守られながら逝きたいとの希望を話しておきました。
希望どおりに死ぬことは中々難しいでしょうが、自分の子供たちに生き様を示さないといけませんね。
私の父親が示してくれたのは、「クソ」がつくほどの真面目さ、愚直さ、頑固さ、やせ我慢、天邪鬼etc・・・、典型的な昭和一桁生まれのオヤジの姿でした。
言葉で説明できるようなものではないですし、そんな立派なものではありません。
でも、自分の中のどこかにそんな精神が生きていることは感じます。
自分は子供たちにどんな姿を示せるか・・・これからが勝負です!
最後に。
長々とくだらない私事の日記にお付き合いいただき、申し訳ありません。
皆様が輝かしい新年を迎えられることを、心より祈念申し上げます。
平成25年12月29日
堀口基文
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