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社長の独り言

何の日? - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -

投稿日時:2013/12/09(月) 05:25

今日は12月9日ですので、昨日日曜日は12月8日。

ははは。当たり前ですね。

あなたは、「12月8日って何の日?」と聞かれたら、何と答えますか?



今年は西暦2013年です。ということは、紀元後だけでも過去2012回の12月8日があったわけですので、過去の12月8日には様々な出来事、事件が起きています。

もしも、「12月8日って何の日?」と聞かれたら、あなたは過去に起きたどんな出来事を答ますか?



さて、私は過去の12月8日起きた出来事を調べてみました。

まずは近いところで、昨年(2012年)の12月8日です。

この日は、任天堂の据え置き型ゲーム機である「Wii U」が日本国内で発売された日だそうです。

・・・昨年の12月8日は、大きな出来事、ニュースは無かったみたいですね。



こんな調子で過去に遡ってみると、

2009年12月8日、森繁久彌に国民栄誉賞授与が決定する。

2006年12月8日、任天堂の据え置き型ゲーム機、Wiiが欧州で発売開始。

2005年12月8日、東京・秋葉原に「秋葉原48劇場」(現:AKB48劇場)がオープン。AKB48の第1回公演が行われる。

・・・どうでも良い出来事が続きます。



大きな出来事、事件が出てくるのは、1995年12月8日でしょうか?

福井県の高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏洩事故が発生しています。

冒頭の、「12月8日って何の日?」との質問に対して、後世まで「もんじゅでナトリウム漏洩事故があった日」と回答する方がいるかも知れないレベルの事故かと思います。



この他にインパクトが大きいと思われる出来事、事件を列挙しますと、

1992年 - アメリカ・カナダ・メキシコが北米自由貿易協定に署名。

1991年 - ロシア・ベラルーシ・ウクライナの代表がソビエト連邦の消滅と独立国家共同体の創立を宣言

1987年 - ロナルド・レーガン米国大統領とミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長、中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)に調印。

1980年 - 元・ビートルズのジョン・レノンが、ニューヨークの自宅前でファンに射殺される。

1963年 - プロレスラーの力道山が赤坂のナイトクラブで暴力団員に刺される。12月15日に死去。

こんな感じで様々な事件が起こっています。



「12月8日って何の日?」という質問に対して、わざわざ本命だと思われる答えを外し、いろんな出来事を列挙しました。

誰がなんと言おうと、「12月8日」といえば、1941年(昭和16年)12月8日の出来事を答える人が一番多いでしょう。



まだわからない方、「1945年(昭和20年)8月15日って何の日?」と聞かれたときに答えられないのと同じような感じかな?

もうわかりましたか?



12月8日といえば、「対米英開戦の日」です。

1941年の12月8日、日本は米国および英国に対して宣戦布告を行いました。

「真珠湾攻撃の日」とご記憶の方が多いかと思いますが、そういう日です。はい。



せっかくですので、少しだけ12月8日のことを勉強しましょう!

もちろん、私の勉強を皆さんと共有するわけですので、私は多くのことを一度に覚えられないから何か一つだけにしましょうね。



12月8日といえば、日本海軍がハワイ真珠湾の米太平洋艦隊に対して、航空機による奇襲攻撃を実施した・・・ということぐらいを記憶しておられる方は多いかと思います。

真珠湾攻撃は対米国の作戦ですが、同じくらい重要な対英国の作戦が12月8日に実施されています。

これは、「マレー作戦」と呼ばれています。



どうやら、歴史の教科書的な表現をすると、1941年12月8日といえば、「対米英開戦の日で、真珠湾攻撃とマレー作戦が実施された日」ということになるようです。

ということで、「マレー作戦って何よ?」を、超簡単に知っておくことを今日の勉強にしたいと思います。



そもそも、米英に対して宣戦布告を行うに至った理由は、「資源の確保」です。

石油、鉄などの近代国家に欠かせない重要物資の供給をストップされた日本は、国家存続のため資源の確保に乗り出しました。

目標は、石油や天然ガス、ゴムなどの豊富な天然資源を持つオランダ領東インド(現インドネシア)の資源地帯。



東南アジアの地図を頭に思い浮かべて下さい。

・・・いや、そんな無理を言ってはいけないな。

地図を載せましょう!


日本からインドネシアに至るには、イギリスの植民地であるマレー半島およびシンガポールが、シーレーン上のとっても邪魔な位置にあります。

ちなみに、シンガポールの北にある半島がマレー半島です。

特にシンガポールはアジアにおける英陸海軍の拠点でしたので、これを早期に攻略する必要がありました。



当時、タイ王国については、植民地化を免れた東南アジア唯一の独立国で、しかも親日的な国でしたので、武力制圧の必要はありませんでした。

このため、英国軍が駐留するマレー半島のマレーシア部分とシンガポールを、陸軍によって制圧する必要があったのです。



ここで取られた作戦は、至ってシンプルなものでした。

タイとマレーシア国境付近に上陸作戦を行い、まっすぐ南のシンガポールに向かって進撃するというものです。

これが「マレー作戦」と呼ばれる作戦で、12月8日の真珠湾攻撃の約1時間30分前、タイとマレーシア国境の「コタ・バル」という地点に日本軍は上陸を開始しました。

下の地図はマレーシアの鉄道地図ですが、タイとの国境付近に「コタ・バル」と書かれています。

ここへの上陸作戦が、対米英戦で最初の作戦です。 

対米英戦で最初の作戦は、真珠湾攻撃だと思ってましたわ~。

ところが実際には、日本時間で1941年12月8日午前1時30分にマレー半島北端のコタバルへの上陸作戦が開始されています。

アメリカ領ハワイへの真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分、いわゆる太平洋戦争はこの時間に開始されました。



さ、これで今日のお勉強は終了なのですが、もう少しだけ追加情報を書いておきましょう。

そもそもマレー作戦は、「マレー半島内のイギリス軍を放逐しつつ、マレー半島を70日以内で縦断してシンガポールを攻略する」というかなり無茶な作戦だったのですが、幸か不幸か大成功してしまいます。

奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら予定より早い55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入しました。

これは世界の戦史上まれに見る快進撃であった・・・。



オチになるのですが、こんな大勝利が慢心と無謀な作戦計画がまかり通る原因となり、後のインパール作戦をはじめとする無謀な計画と大敗の原因になりましたとさ。

歴史を少し研究すると、「上手くいっている時ほど細心に。上手くいっていない時は大胆に」だと私は思います。

どちらも、口で言うのは簡単ですが、実行するには難しいことですねえ~。

上手くいっている時は調子に乗りすぎてしまうし、上手くいかない時は「シュン」となってしまうのが人情というものです。


それでは~!
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