社長の独り言 2012/10/17
久々の筋肉痛 - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -
投稿日時:2012/10/17(水) 06:57
スクラップ屋のオッサンとしては屈辱(?)の筋肉痛です。
体が動かないということはありませんが、筋肉にハリを感じているホリグモンです。
昨日は雑電線類や銅スクラップ類の集荷に出動。
ユニック車で出かけましたので、荷台への積み込みは基本的に機械なのですが、結構人力も使います。
まずは小袋に入った銅や電線を、保管場所から屋外まで運搬。これが結構な距離なんだな。
その後、小袋からフレコン詰め。
「小袋」とは言いますが、最も軽い電線類が詰めてある袋で、1袋あたりで約10~20kg。
銅が詰め込んであると一袋約40kg、真鍮だと50kgオーバーになります。
保管庫からの運搬と、フレコン詰めだけでも結構な力仕事になります。
所要時間は約2時間半ほどだったか?
スクラップ(特に銅や電線)を扱っている時間は、病的にテンションが上がりますので、少々張り切りすぎるんです。
これが雑品やバッテリーなんかだと、「だるいな~」と心の中でブツブツ言いながらの作業ですので、必要以上に人体に負担はかかりません。
何故だか「銅色」の輝きを目にすると、深夜のドロボーさん並み(?)に迅速な作業を行ってしまうのです。
これ、なんでだろうねえ?
私だけだろうか?皆さんはいかがですか~?
・・・まあ、そんな理由で少々無理をして筋肉痛になってしまったようです。
実は一昨日の月曜日も、少量ではあるものの2階倉庫からの荷下ろしを伴う手積みを行っておりましたので、連日の作業が負担だったか?
最近は現場仕事よりも、営業や事務仕事がメインになっているため、身体能力の衰えが明白ですね。
スクラップ屋たるもの、これではいけません。
1年365日、いつでもどこでもスクラップを集荷し続ける強靭な肉体が必要ですし、それを継続することが大事・・・。
今日は移動などに費やす時間が多いので、4トン車に積載された荷物を下ろす(これは重機ね)くらいしか現場仕事の予定がありません。
また、明日から現場仕事に精を出すことにしたいと思います。
さて、話は変わりますが、昨日、少々考えるところがありまして。
実は、ある知的レベルが高~い方の、ご意見に接する機会がありました。
その方は聞くところによると、中国で生まれ、学ばれた方のようです。
現在は日本国籍を取得しておられる日本人ですし、日本を愛しており、同時に日本と祖国が円満な関係であることを強く願っておられるようです。
今は日中関係がギクシャクしていることもあって、非常に危惧を強めておられるようで、日中間が友好的、平和な関係を続けていけるように様々な意見を出されていた・・・という次第です。
これが何と言いますか、非常に違和感があるんですわ。
今の国際情勢の認識など、冷静かつ適切に分析しておられると思うのですが、「ん?何でそういう考え方になるの?」と思う部分が多々ありまして。
私なりに違和感の原因を分析してみたのですが、大きく分けて2つの原因を発見しました。
まず一つ目は、日本の利益はもちろんですが、中国の利益も同時に配慮している点です。
「日中両国に利益があるような問題解決」を模索しようという思考があるんですね。
もちろん、問題解決にむけた現実的な手法の一つと言えないことはありませんが、私の頭の中には、中国の利益などこれっぽっちもありません。日本の利益が100%で、中国の利益ゼロの考えしか無いという事です。
これ、現在の日本で多数派を占める考え方でして、中国に譲歩しても、日本には何も利益はない。奴等は要求をエスカレートさせるだけ。
そのように考えている日本人が多い訳です。
心の奥底で祖国のことを想う方と、全くそのような意識のない人間との見解の相違でしょうね。
もう一つは・・・歴史認識ですね。
これ、話せば長くなるんですが、一言で言うと「戦前日本が悪か否か」という認識だと思います。
ちなみに、私は悪だと考えていないのですが、この方は悪だという前提で考えておられるようです。
その前提が180度違うので、そりゃあ意見が合う訳無いですわ。
この歴史認識の問題、国と国との関係でも大きな問題ですが、個人レベルでも非常に大きな問題ですね。
我々も、学校ではちゃんと(?)戦前日本が悪だと教わりましたよ。
少なくとも私が子供のころの日本では、戦勝国の価値観に基づく歴史教育が行われていましたし、何より反日日本人の日教組の先生が教えてくれましたしね~。
でも、実際に詳しく学んで行ったり、体験者から実情を聞いたりするうちに、多くの人が「あ、そうだったんだ。」と認識して行くんですわ。
この話をすると、一冊本を書いてしまいそうなので止めときます。
とにかく、歴史認識が違うものだから、問題解決のアプローチが違ってくるんです。
今、日本と中国のすれ違いそのままの縮図ですね。
だからそのままのことを意見しても、日本人は受け入れないのよ。
意見の相違を感じた2つの原因を私なりに書きましたが、意見が異なること自体は問題ないと思いますよ。
皆が同じ考えであることのほうが気味が悪いですし、違う意見を持つ人間を排除しようなんてことは大人気ない。
多様な意見があることを前提に、「粛々」と物事を進めていかないと。
「粛々(しゅくしゅく)」と・・・というのは、日本人の合言葉みたいなものですよ~。
体が動かないということはありませんが、筋肉にハリを感じているホリグモンです。
昨日は雑電線類や銅スクラップ類の集荷に出動。
ユニック車で出かけましたので、荷台への積み込みは基本的に機械なのですが、結構人力も使います。
まずは小袋に入った銅や電線を、保管場所から屋外まで運搬。これが結構な距離なんだな。
その後、小袋からフレコン詰め。
「小袋」とは言いますが、最も軽い電線類が詰めてある袋で、1袋あたりで約10~20kg。
銅が詰め込んであると一袋約40kg、真鍮だと50kgオーバーになります。
保管庫からの運搬と、フレコン詰めだけでも結構な力仕事になります。
所要時間は約2時間半ほどだったか?
スクラップ(特に銅や電線)を扱っている時間は、病的にテンションが上がりますので、少々張り切りすぎるんです。
これが雑品やバッテリーなんかだと、「だるいな~」と心の中でブツブツ言いながらの作業ですので、必要以上に人体に負担はかかりません。
何故だか「銅色」の輝きを目にすると、深夜のドロボーさん並み(?)に迅速な作業を行ってしまうのです。
これ、なんでだろうねえ?
私だけだろうか?皆さんはいかがですか~?
・・・まあ、そんな理由で少々無理をして筋肉痛になってしまったようです。
実は一昨日の月曜日も、少量ではあるものの2階倉庫からの荷下ろしを伴う手積みを行っておりましたので、連日の作業が負担だったか?
最近は現場仕事よりも、営業や事務仕事がメインになっているため、身体能力の衰えが明白ですね。
スクラップ屋たるもの、これではいけません。
1年365日、いつでもどこでもスクラップを集荷し続ける強靭な肉体が必要ですし、それを継続することが大事・・・。
今日は移動などに費やす時間が多いので、4トン車に積載された荷物を下ろす(これは重機ね)くらいしか現場仕事の予定がありません。
また、明日から現場仕事に精を出すことにしたいと思います。
さて、話は変わりますが、昨日、少々考えるところがありまして。
実は、ある知的レベルが高~い方の、ご意見に接する機会がありました。
その方は聞くところによると、中国で生まれ、学ばれた方のようです。
現在は日本国籍を取得しておられる日本人ですし、日本を愛しており、同時に日本と祖国が円満な関係であることを強く願っておられるようです。
今は日中関係がギクシャクしていることもあって、非常に危惧を強めておられるようで、日中間が友好的、平和な関係を続けていけるように様々な意見を出されていた・・・という次第です。
これが何と言いますか、非常に違和感があるんですわ。
今の国際情勢の認識など、冷静かつ適切に分析しておられると思うのですが、「ん?何でそういう考え方になるの?」と思う部分が多々ありまして。
私なりに違和感の原因を分析してみたのですが、大きく分けて2つの原因を発見しました。
まず一つ目は、日本の利益はもちろんですが、中国の利益も同時に配慮している点です。
「日中両国に利益があるような問題解決」を模索しようという思考があるんですね。
もちろん、問題解決にむけた現実的な手法の一つと言えないことはありませんが、私の頭の中には、中国の利益などこれっぽっちもありません。日本の利益が100%で、中国の利益ゼロの考えしか無いという事です。
これ、現在の日本で多数派を占める考え方でして、中国に譲歩しても、日本には何も利益はない。奴等は要求をエスカレートさせるだけ。
そのように考えている日本人が多い訳です。
心の奥底で祖国のことを想う方と、全くそのような意識のない人間との見解の相違でしょうね。
もう一つは・・・歴史認識ですね。
これ、話せば長くなるんですが、一言で言うと「戦前日本が悪か否か」という認識だと思います。
ちなみに、私は悪だと考えていないのですが、この方は悪だという前提で考えておられるようです。
その前提が180度違うので、そりゃあ意見が合う訳無いですわ。
この歴史認識の問題、国と国との関係でも大きな問題ですが、個人レベルでも非常に大きな問題ですね。
我々も、学校ではちゃんと(?)戦前日本が悪だと教わりましたよ。
少なくとも私が子供のころの日本では、戦勝国の価値観に基づく歴史教育が行われていましたし、何より反日日本人の日教組の先生が教えてくれましたしね~。
でも、実際に詳しく学んで行ったり、体験者から実情を聞いたりするうちに、多くの人が「あ、そうだったんだ。」と認識して行くんですわ。
この話をすると、一冊本を書いてしまいそうなので止めときます。
とにかく、歴史認識が違うものだから、問題解決のアプローチが違ってくるんです。
今、日本と中国のすれ違いそのままの縮図ですね。
だからそのままのことを意見しても、日本人は受け入れないのよ。
意見の相違を感じた2つの原因を私なりに書きましたが、意見が異なること自体は問題ないと思いますよ。
皆が同じ考えであることのほうが気味が悪いですし、違う意見を持つ人間を排除しようなんてことは大人気ない。
多様な意見があることを前提に、「粛々」と物事を進めていかないと。
「粛々(しゅくしゅく)」と・・・というのは、日本人の合言葉みたいなものですよ~。