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社長の独り言 2015/8

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お盆休みの過ごし方 - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -

投稿日時:2015/08/19(水) 05:36


お盆休みを終え、仲良くしている仲間業者と「お盆はどう過ごした?」という話をしました。



結果は予想通りだったのですが、「16日の日曜日だけ休んだ」とか、「土曜日と日曜日だけ休んだ」という人間ばかり。





私は、「15日土曜日と16日日曜日の2日間を休んだ」のだと思います。



お盆であろうが正月であろうが、例えばメールチェックだったりパソコン仕事だったりということは行っています。



「仕事のことを完全に忘れて過ごす一日」というのは、少なくとも社長という立場に就いてから一日たりともありません。



それが当たり前です。





「365日仕事!」というような、堅苦しいことを考えている訳ではありません。



むしろ、オンとオフはきっちりと切り替えた方が良いと考えています、





でも仕事に関するアンテナが、頭の中で24時間365日、常に立っています。



24時間という長い時間の中で、そのアンテナが一度も反応しないことってあり得ないんですねえ。





スーパーに買い物に行くと、駐輪場に止めてある自転車のことが気になります。


安物の自転車が多い駐輪場なら、「このスーパーで回収しても赤字だな」などとすぐに計算してしまいますね。



子供が買ってきた新しいゲームを見ると、分解してどんな基板が入っているのか確認したくなってしまいます。


分解は簡単ですが、組み立てが難しそうだから断念しますが・・・。





そんなつまらないことを含めて、仕事のことを完全に忘れて一日を過ごすことが出来ないということです。



ちょっと分かりにくい話ですいません。





さて、世間様がお盆休みのタイミングで、私が必ず行う仕事があります。



「イベント」と言っても良いかも知れません。



それは、「取引金融機関回り」です。




世間はお盆休みですから、どこかに営業に行っても誰にも会うことが出来ませんが、金融機関は通常営業中です。



もちろん、担当者氏もお盆休みを取っていることもあります。



しかし、取引支店内で2~3名顔見知りの人間がいれば、必ず誰かが出勤しているものです。





平素は忙しく外回りをしていたり、押し潰されそうなノルマの中でピリピリと仕事をしている彼らですが、さすがにお盆休み中は少しリラックスして仕事をしています。



うっとうしい上役がお休みだからでしょうか?





しかしさすがに用事が無いのに行くと嫌がられますから、簡単な用事のためにアポイントを取ってから行きます。



月初の用事を先延ばしにしてお盆に合わせる、あるいは月末の用事を繰り上げてお盆に済ませるというような配慮をしています。



どうしても用事が無ければ、通帳の記帳に行きます。






たとえ1分間の立ち話であっても、彼らがリラックスした状態で話が出来ますから、親密度(?)がずいぶんとアップするように思います。



金融機関と親密な関係を築くことも、私の重要な仕事の一つです。





個人的な考え方ではありますが、取引金融機関に2~3名の顔見知りがいないようではダメです。



事務所で担当者氏が来るのを待っているようなスタイルでは、複数の人間の顔が見えないでしょ?



だから私は支店へ足を運びます。



何度も支店へ行っていれば、「アイツがデラざっぴんの社長だ」と窓口の女の子でも覚えてくれます。





金融機関の支援なくして、資本ゼロからスタートするのは不可能に近いです。



「支援を受けるにはどうすれば良いか?」



明確なビジョン、説得力のある事業計画書、その他いろいろと必要な要素はあるでしょう。





でもね、いくら自分の仕事はプロでも、金融の仕事は素人です。



たとえ金融知識に優れた方でも、金融機関という組織に関しては素人。





結局、金融機関で働く生身の人間が、自分のために積極的に力になってくれるかどうかが、大きなポイントになるのです。



その為には、顔見知りになっておいて損はありません。





担当者氏、担当者の上役、支店長の3人に顔を覚えてもらうのが基本ですね。





金融機関側から取引を懇願してくるような立派な企業の方には関係のない話ですが、少なくとも創業期においてそんな企業はあり得ませんから。





今日の話、これから事業を始めようとするような方、あるいは事業を始めて間もない方には、とってもタメになる話ですよ。



もしもお役に立てたなら、不要自転車の一台でも、私にお恵み下さい。



ははは。



17日までお盆休みです - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -

投稿日時:2015/08/17(月) 06:46

皆さん、お盆休みをいかが過ごされましたか?



世間様では本日よりお盆休み明け、当社は申し訳ありませんが、本日17日までお盆休みでございます。

荷受けはいたしておりませんので、悪しからずご了承ください。





さて、休み明けのブログを作成して更新しようと準備していたのですが、キーボードのどこかのボタンに触ってしまったらしく、久しぶりに記事が全て消えてしまうと言うトラブルに見舞われました。



アタマの中に書いた内容の記憶があるうちに、再度書き直したいところなのですが、あいにく今日はアポイントがありますので、まもなく出発しなくてはなりません。



ということで、今日は記事がありませ~ん。





「それなら、何も書くなよ」という声も聞こえてきそうですが、何も書かなければ書かないで、入院説や夜逃げ説が流れてしまうのが世の中というものです。



昨夜、激辛ラーメンを食べたせいで下痢しておりますが、それ以外は元気なことをお伝えしたかっただけなのです。はい。



そんな訳ですいませんが、記事更新は次回ということでお許しください!

鹿児島編 - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -

投稿日時:2015/08/12(水) 05:24


前回のブログで、南九州へプライベートな旅行へ行ってきたことをお知らせしておりました。



今回はその続編と言うことで、「鹿児島編」であります。



2回にわたって同じネタを引っ張るようで申し訳ありませんが、慢性的なネタ不足という事情がございますので、そのあたりはご容赦くださいませ。





鹿児島にもたくさんの観光名所があります。



私も観光客らしく、桜島や開聞岳などの観光地をいくつか巡って来ました。



ま、しかし桜島や開聞岳のことをブログに書いてもしょうがないので、本日のテーマはコレです!















私が鹿児島を訪問した際には必ず訪れる場所です。



その名も、「知覧特攻平和会館」です。





今回の旅行では、15歳の二男と10歳の三男を連れて行きました。



二男にとっては2回目、三男は初めての知覧特攻平和会館です。





ここはかつて、陸軍の飛行場、飛行学校があった場所です。



第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻基地として使用され、沖縄戦の後も多くの特攻機が出撃して行った場所です。



写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されていますが、館内は写真撮影禁止ですので、パンフと外観の画像でお許しください。





私は基本的には子供への教育のために連れて行っていますが、皆さんも機会があれば、どうぞ訪問してみて下さい。



隊員の遺書などは涙なくして読むことが出来ませんが、何か精神的な変化があると思いますよ。



私なんかは不謹慎かもしれませんが、心が晴れると言うか、清々しい気持ちになってパワーが出てきます。





おそらくはかつて特攻の対象だった国からの観光客の方々、軍人なんかの姿も見受けられます。

今回も、「Y」という米軍関係車両のナンバープレートが取り付けられた車で来ていた家族連れや、欧米系の若い女性二人組なんかも目撃しました。





いずれにせよ、「日本人なら一度は行っておけ」ということです。はい。







さて、「特攻」という言葉くらいは皆さん聞いたことがあるでしょう。





本来の意味は、「生還の見込みが極めて低い決死の攻撃」を指します。



ここでは航空機により敵艦船に対して体当たり攻撃を敢行する、絶対に生きては戻れぬ「十死零生」の作戦について書かせていただきます。





立案者自らが「統率の外道」と評したと伝えられるほど、勝算の無い、破れかぶれの悪あがきであったことは事実です。



現代を生きる我々は、過去の人々を正確に理解することはできないかもしれませんが、第二次世界大戦以前の日本について、あまりにも多くの誤解があると思います。



特攻に関することでも非常に多くの誤解があると思いますが、「自分と同じような考え方、感性を持った人間が特攻を命じ、命じられた」との前提で考えれば、誤解は小さくなるのでしょう。





私なんかの世代だと、父が少年期までを過ごし、祖父が兵隊として経験した時代の話ですから、過去は過去でも、とても身近な時代です。



私は、その時代を過ごした人から育てられたわけです。

自分という人間には、その時代を生きた人の考え方や感性が当然に受け継がれているはずですし、自分と大きく異なる人々であるはずが無いのですわ。




知覧に所属した隊員の中で、最年少者は17歳。

そんな若者・・・と言うより子供が、体当たり攻撃をせざるを得なかった時代です。







特攻の代名詞となった「神風特別攻撃隊」ですが、初出撃は1944年10月21日、敵を発見して初攻撃となったのは10月25日のことです。



この初攻撃で護衛空母一隻を撃沈、五隻に損傷を与えるという大変な戦果を挙げました。

予想以上の大戦果を挙げてしまったことが不幸を拡大したのでしょうが、ここでは詳しく述べません。



翌10月26日、軍令部総長が昭和天皇に対して戦果を奏上したのですが、その時のお言葉は、


「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった。」


だそうです。



また、10月30日には海軍大臣に対して、


「かくまでせねばならぬとは、まことに遺憾である。神風特別攻撃隊はよくやった。隊員諸氏には哀惜の情にたえぬ。」


と仰せられたとのこと。





昭和天皇による言葉の受け取り方は、人それぞれなのでしょう。



しかし少なくとも、十死零生の攻撃とは、1944年10月末という第二次世界大戦末期の情勢の中でも、「そのようにまで・・・」、「かくまでせねば・・・」と評されるほど、非常識な作戦だったのです。



そのような事実をもって、


「自分と同じような考え方、感性を持った人間が特攻を命じ、命じられた」


と申しております。はい。





命じる方も、命じられる方も地獄・・・ ということです。



「命じる方も地獄」という表現というか感性について、ご理解いただけない方もおられるかもしれませんが、言葉で説明するのは難しいですねえ。





「命じる側」だった方のことについても少し触れておきます。



神風特別攻撃隊の創設者である大西瀧次郎中将は、昭和20年8月16日に割腹自決を遂げています。



遺書の内容は、


死をもって旧部下の英霊とその遺族に謝すること、後輩に軽挙は利敵行為と思って自重忍苦し、日本人の矜持も失わないこと、平時に特攻精神を堅持して日本民族と世界平和に尽くすように希望する。


というものだったそうです。





こんな歴史を知れば、誰もが「二度と同じ悲劇を繰り返してはならない」と考えることでしょう。



二度と同じ悲劇を繰り返さないための方法論として、「核武装すべき」と考える人もいれば、「憲法9条を堅持すべき」と考える人もいます。

方法論は多種多様ですからねえ。



目的は同じなんですが。





いつも訳の分からない話ですいません~。

屑屋の主張はここまでとしますね~。





逆転満塁ホームラン - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -

投稿日時:2015/08/10(月) 05:12


先週末は南九州へと出かけておりました。



実は仕事ではなく、プライベートな休暇として出掛けてきたのです。





休暇で出掛けるなら、本来はお盆休みにするべきです。

それは分かっているのですが、実は家を離れて寄宿舎で暮らす息子が寄生虫・・・いや、帰省中です。



現在中学三年生ですので、そろそろオヤジと一緒に出掛けるのを嫌がる歳になって来ました。



ボウズと一緒に出掛けるのは、ひょっとしたら今年が最後になるかもしれない・・・と考えたので、小旅行を計画したのです。





息子の帰省は約10日間ほど。


お盆休みの前には寄宿舎へと帰ってしまいますので、悠長に休んでいられるような状況でも無いのですが、仕事を放り出して旅行へと出掛けた次第です。







今回の旅行先は、熊本県と鹿児島県でした。



熊本は仕事でよく訪れる場所ですね~。

熊本行きの航空券が安かった(一人片道5,980円)こともあり、いつもの仕事と同様に熊本空港を利用しての旅行になりました。





空港でレンタカーを借り、最初に向かった先は阿蘇山。



あら?

現在、阿蘇山の山頂付近へ立ち入ることが出来ないんですねえ。



「噴火警戒レベル2」が発令中で、火口から半径約1km以内への立ち入りが禁止されているとのこと。

阿蘇山ロープウェーは運休中、画像の阿蘇山公園道路(有料道路)は通行止め。



約一年前の2014年8月30日からロープウェイは運休しているとのことでしたので、ずいぶん前から火口周辺へ立ち入り出来なかったんですね。





実は私が阿蘇山を訪れたのは3度目です。



一度目は今から約25年前の学生時代で、その時も火口周辺へ立ち入ることはできませんでした。



二度目が5年前で、その時はロープウェイに乗って火口周辺まで行くことが出来ました。



で、三度目の今回は再びダメ。





一勝二敗か。

阿蘇山という山は、中々に厳しい山ですね。





その後空港近くへ戻り、仕事で仲良くしていただいているヤードに立ち寄ったのですが、お互いの時間が合わずに面会は叶わず。

不運が続いて出ばなをくじかれた気分・・・。




とりあえずは鹿児島へと向かうことにしたのでした。







鹿児島のことは次の機会に書くとして、最後に熊本から帰るときのことを書きましょう。





最終日、午前に鹿児島を出発して、午後には熊本へ戻って来ました。



夕方にはレンタカーを返却して帰りの飛行機に乗らなければなりませんので。





帰りの飛行機は、たしか17:40分出発だったかな?



念のため、時間を再確認しようと信号待ちのときにチケットを探したのですが、あいにくトランクのスーツケースに入っているようで確認できませんでした。





熊本市街へ到着したのは14時半ごろ。



旅の最後に訪れたのは、熊本城です。



この熊本城、なぜか外国人観光客に非常に人気があるようです。



海外の口コミサイトでの評価が高いらしく、私が行った時にも各国の外国人観光客でいっぱいでしたよ~。





ちなみに、熊本城の天守閣の中を見ているとき、再び飛行機の出発時間が気になりましたので、ipadで確認を試みました。



でも、天守閣の中は通信環境が悪いらしく、中々ネットに繋がらずに断念しました・・・。





何やかんやで、空港方面へと向かいました。



レンタカーを返却して空港ロビーへ到着したのが16時40分ごろです。





あ、スーツケースからチケットを取り出さないとね。





ウェブ・チェックインしてあるから、カウンターへ行く必要は無く、そのまま保安検査場へ行くだけです。



え~と、チケットはどこに入れたかな?



あ、あったあった。








うお!?




17:40出発だと思っていましたが、


大阪到着が17時40分で、熊本出発は16:40 じゃないの!



時計で現在時刻を確認すると、すでに時刻は16:45。



どうしよう・・・?





冷静に考えると、どうしようもクソも無く、新たに他の便のチケットを買うしか方法は無いわけです。



もうすでに、飛行機が出発するする時間が過ぎているわけですから・・・。





たしか、夜の8時ごろに最終の大阪行きがあったと記憶していたので、とりあえずチケットカウンターへ向かうことにしました。





大きな無駄な出費ですね~。

飛行機に乗り遅れて、チケット買い直しなんてミスはさすがに初めてです。たぶん。





意気消沈しながらチケットカウンターに行ってみると、トンデモナイ知らせが私を待っていたのでした。








マジか!?




16時40分発のフライトは、遅延で1時間10分遅れ!





ということは、まだ飛行機は出発していないし、乗れる!?





カウンターで確認してみると、「乗れますよ」とのこと。



ラッキー!





阿蘇山火口へ行けなかったり、会いたい人に会えなかったりと、今回の熊本ではアンラッキーが多かったのですが、最後の最後に逆転満塁ホームランをかましてくれました。



熊本、大好きよ♪





金相場の悲観論? - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -

投稿日時:2015/08/05(水) 06:40


約二週間ほど前のブログで、金(ゴールド)価格が下落しているという話題に触れました。



ニュースの内容としては、


NY金、09年以降で最長の8営業日続落、5年ぶり安値


というような内容でした。




さて、その後の動きはどんなものでしょうかね?





日本時間8月5日7時時点での金相場は、1トロイオンスあたり1,086ドルほどです。



この2週間の間で急落したということはありませんが、相変わらず低調といったところでしょうか?





これから先、どのように相場が変動していくのでしょうかねえ・・・。





私の意見より、ハゲタカ・・・いや、プロの見方を引用しますね。



米金融大手であるモルガン・スタンレーのレポートでは、金相場がさらに下げ、最悪のシナリオでは1オンス=800ドルを付ける可能性もあるとの見方を示しています。



現在よりさらに30%ほど下げるということです。



現在の日本の金建値はグラムあたり4,300円ほどですが、30%も下げたらグラムあたり2,000円台に突入するでしょうね。

最盛期(?)の半値くらいまで下げるかもしれません。



怖いな~。





ちなみに、「1オンス=800ドルまで下げる」という事態がどのような場合に起こりえるのか、前提というか仮定条件が示されていました。

その内容は、





1. 米政策当局が利上げを開始



2. 中国の株式市場が再び調整局面に入る



3. 複数の中央銀行が金準備を売却する





これらの条件が全て満たされた場合、金価格は大幅な下げを余儀なくされるということです。





どの条件も、フツーに満たされそうな起こりそうなんですけど?



こんなハードルの低い条件で金相場が1オンスあたり800ドルまで下落しそうだというならば、現実のものとして受け入れざるを得ません。



「金相場は1オンスあたり800ドル以下まで下落する」という思い込み(?)を自分のアタマの中に刷り込んでいく位が、丁度良いかもしれませんね。





いずれにせよ、金相場は下落傾向であるというのがトレンドです。

私がややこしい話をするよりも、金相場の最近の動向をグラフで見ていただいたほうが手っ取り早いかな?



 

グラフはそれぞれ、

24時間、30日、6ヶ月、1年、5年、10年 の金相場の変動を示しています。



「ご覧のとおりの有様です」としか言いようがありませんね。



金相場が高騰し続けていた、約3年前までの状況とは明らかに変わっております。

この3年ほどの間、金価格は下落し続けているのです。



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