社長の独り言 2015/6/24
カルシウム不足? - たまに覗くから面白い!毎日見ないでぇ・・・飽きるから。。 -
投稿日時:2015/06/24(水) 05:37
昨日は沖縄戦終結から70周年ということで、関連した多くの報道が流されていました。
私の性格が悪いせいかどうか知りませんが、その多くは「イラッ」とさせられるものでしたねえ・・・。
その1
沖縄戦の悲惨さを伝える話の中で、「沖縄だけが・・・」というニュアンスを含んだ話が多いこと
そりゃあ沖縄での地上戦で悲惨な光景が繰り広げられたことは理解しています。
しかしそれは沖縄だけの話ではありません。
サイパンなどの島嶼でも、満州でも樺太でも同じ。
相手がロスケだった分、満州や樺太の一般市民はある意味もっと悲惨だし、戦後戻ることもできていない。
激しい空襲に見舞われた本土の人間の悲惨さも忘れてはならない。
報道の仕方が悪いのか、多くの沖縄県民が本当に思っているのかは知りません。
しかし、「自分たちだけが・・・」という考え方は、日本本土の斜め上にある国の方と同じ発想だと思うのです。
その2
二度と戦争を起こしてはならない
当たり前です。
おそらく日本の一般市民も政治家も、99.9%以上がそう願っていると思います。
私の人生の中で戦争を願っている人に出会ったことがありませんから。
問題は沖縄戦での悲惨な出来事という「史実」と、それを語る人の「個人的見解」、果ては「政治的主張」までが混同されて報道されていることです。
例えば米軍基地の問題。
沖縄戦と米軍基地問題は全くの別問題です。
沖縄戦→米軍による占領→基地建設と、一連の歴史の流れの中での出来事だという主張には相当無理があります。
だって、私やあなたが今こうして生きていることをはじめ。あらうることは歴史の流れの中での出来事ですから・・・。
「沖縄戦の悲惨さを伝える」(史実) → 「平和の大切さと説く」(個人的見解)までは許せるのですが、なぜかその先で「米軍基地反対」(政治的主張)に結びつくんですね。
史実に個人的見解を含めるまでは大目に見ますが、そのあとで政治的主張までを入れるなら、「お前の話に聞く価値は無い」となります。
自分の都合の良い事だけをつなぎ合わせて、己の主張を「一連の出来事だから」と通そうとするのは斜め上の国の手法・・・。
「二度と戦争を起こしてはならない」という話なんですけどね、
相当多くの日本人が誤解していたり、論理の整理が出来ていないので、説明しておきますね。
例えば、現在国会で審議されている安保法制。
アホな連中が「戦争をするための法案」と騒いでいることはご存知でしょう。
若い子たちが左巻きの年寄りに扇動されている姿を見ると、何とも痛々しいのですがそれはさておき。
彼らの論理は、「安保法制=戦争をするための法案」です。
相手にレッテルを張り付け、扇動するためには効果的な手法かも知れませんが、あまりにもアホらしい話です。
日本には、「先の大戦のような悲惨な出来事を繰り返してはならない」というコンセンサスは出来上がっています。
問題は、「どうすればそれが実現できるか」という手法の話です。
武力を放棄することで平和を守れると考えている人もいます。
米国との安全保障体制を強化することで平和を守れると考えている人もいます。
日本の防衛力を高めることで平和を守れると考えている人もいます。
様々な考え方がありますねえ~。
日本の場合は基本的に多数決で全てが決定されますから、国民の多数が考える方法で「先の大戦のような悲惨な出来事を繰り返さないための手法」が決定されます。
今回の安保法制の場合、国民の多数派が支持する政党およびこれにより形成されている内閣の手法がそういうことなのです。
ややこしい表現になりましたが、「目的を達成するためにどういう方法を取るか?」というだけの話に対して、レッテル貼りや論理のすり替えが酷い。
そのやり口は斜め上の国の・・・。
ちょっとくどいか。
ま、こんなテレビの中の出来事でイラッとしてもしょうがないんですけどね~。
そういえば昨日のお昼頃、私は名古屋駅のあたりにいたのですが、なにやらビラ配りや演説をやっている老人たちがおりました。
ちょうどJR東海の株主総会があったようなのですが、老人たちの主張は「リニア新幹線の建設反対」でした。
本当にヒマな連中だなあと感心すると同時に、この老人たちを食わせて支えている現役世代は、本当に可哀想だなあと思いますわ。
こっちの方が、よほどリアルにイラッとしますね。
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